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<title>ペルー・マチュピチュ・アマゾンの旅</title>
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<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2006</copyright>
<lastBuildDate>Tue, 04 Oct 2005 23:57:11 +0900</lastBuildDate>
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<title>アヤワスカの秘伝</title>
<description><![CDATA[<p>私たちのアマゾンでは、古くからアヤワスカを尊重してきた。病気になった時、シャーマン家庭に災いが起きた時、よりよい解決のために、アヤワスカを使う呪術師に相談してきた。私自身も呪術師となり多くの病気を治した。それだけでなく、祖先の由来を確かめたり、将来起こることに備えたりすることもできた。そもそもアヤワスカは医薬なのだ。</p>

<p>アヤワスカを飲むと身体が清められ、丈夫になり、免疫力が高まる。まるでワクチンみたいな働きをするから、伝染性の病気、結核だとか皮膚病だとかにならない。アヤワスカはインディオのケチェア語で、「死者の蔓」「精霊の蔓」という意味だ。蔓の木なので、支えるために他の木に寄りかかったり、巻きついたりして、他の樹木と一緒に育つが、まるで蛇のように見えるものもある。アヤワスカの精霊は老婆の姿をしている。どちらかというと痩せていて、インディオのシピボ族の姿をしていたり、緑とざくろ色をした服を着ていたりする。</p>

<p>彼女はアヤワスカを守っている番人だ。だからアヤワスカを飲む時には、いつもこう言ぅんだ。「おばあさん、私の願いをきいてください… … 」。すると、アヤワスカの精霊はいろいろと教えてくれる。まず、アヤワスカの飲み物の作り方。これはしっかりと作らなければならないが、秘訣があるのだ。アヤワスカの選び方もある。アヤワスカはその辺にあるものではないが、多くの人の目にさらされたアヤワスカの蔓はよくない。よいアヤワスカは身を潜めているんだ。</p>

<p>それにアヤワスカにはたくさんの種類がある。鐘のアヤワスカ、雷のアヤワスカ、天のアヤワスカ、明星のアヤワスカ、竜骨のアヤワスカ… … 。</p>

<p>また、アヤワスカの良し悪しを教えてくれる鳥がいる。アワヤスカのそばにいる鳥だ。鈴のように鳴いて、誰かが触ろうとすると知らせるんだ。「チス、チス、チス」。その鳥がそう鳴けばよい。だが、「チークワ」といったら、それはよくない。「チークワ」といったら、そのアヤワスカを採ってはいけないのだ。そのアヤワスヵを飲むと、悪いことが見えたり、起こったりすると忠告しているんだ。「チス、チス、チス」といったら、ああ、これはよいアヤワスカだ、というわけだ。時にはその鳥が、どこかに食べに行っていて、あたりにいないこともある。</p>

<p>けれども、アヤワスカを採って持ち帰る途中で、「チークワ」という声を聞いたら、やめるんだ。あとを迫って、ちゃんと知らせに来る。アヤワスカと一緒にいるコオロギもいる。「シャーツー・」と鳴いてね。アヤワスヵを飲むようなところには、だいたいこのコオロギがいて「シャーツ⊥ と強い吾<br />
が聞こえてくる。力があって、いろいろなものを治すといわれている。アヤワスカの力でもあるんだ。アヤワスカが煎じられる時も見張っている。</p>

<p>～引用～アマゾンの呪術師</p>]]></description>
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<category>アマゾン</category>
<pubDate>Tue, 04 Oct 2005 23:57:11 +0900</pubDate>
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<title>アヤワスカの伝説</title>
<description><![CDATA[<p>むかしむかし、南米大陸のインカ帝国に仕えるひとりの戦士がいた。その戦士は位が高く、王族同様の扱いを受けていた。</p>

<p>ある時、シリ族と呼ばれるインディオの一族が帝国を襲撃してきた。その戦士はシリ族と勇敢に戦ったが、実は戦士自身にシリ族の血が流れていたために、反逆者とみなされてインカの人たちに殺されてしまった。戦士の妻は悲しみ、夫の亡骸が埋められた墓にやってきた。すると、塞から今は亡き戦士が、身を輝かせて立ち現われた。そして妻にこう告げた。「見なさい。私は死んではいない。ただ死者の住むところに連れてこられただけだ。私は黄泉の国で暮らしている… … 私の塞から植物が育つだろう。それは私の髪の毛から育ったアヤワスカと呼ばれる蔓だ。この植物の根元には、必ず老婆が住んでいて、墓を守っている。</p>

<p>よいか、このアヤワスカを、私が言うようにして飲むのだ」<br />
その方法とは、アヤワスカの蔓を伐り、叩いてほぐし、アヤワスカのそばに必ず生えているチャクルーナという植物を探して、その葉とアヤワスカを一緒に混ぜて煮る。戦士は、これらの植物はどういう姿をしているか、高さや葉の形などすべてを教えた。「アヤワスカとチャクルーナ、この二つの植物を煮出したものを飲みなさい。そうすれば、私を見るだろう。別の世界を、霊の世界を」と言って戦士は消えた。</p>

<p>その教えはインカの王家へ受け継がれた。さらにインカの人々へ、そしてインカの人々からインディオのアマワカ族、シピボ族、コニボ族へ、さらにコニボ族からコカマ族に、それから、コカマ族から混血した人々へと、時を経て伝えられた。アヤワスカはウルバンパやマテュピチエあたりに生えていたが、栽培も始められた。インディオや土地に住む人々は、塞から育った植物の種をあちらこちらに蒔いて育てて、絶やすことはなかった。このようにして、伝えを受けた人々はアヤワスカの探し方、飲み方を知り、ビジョンを得られるようになった。</p>

<p>～引用～アマゾンの呪術師</p>]]></description>
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<category>アマゾン</category>
<pubDate>Tue, 04 Oct 2005 23:44:33 +0900</pubDate>
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<title>謎の液体・アヤワスカ</title>
<description><![CDATA[謎の液体アヤワスカと聞いて、何のことかさっぱり分からないと思う。<br>
<br>
実は僕自身もはっきりとは説明出来ない。<br>
<br>
何故なら医学的にも、不思議すぎて未だに解明されていないのである。<br>
<br>
アヤワスカという植物の煮汁。<br>
アヤワスカ、別名しのつた。成分はDMTというものらしい。<br>
作り方は、<br>
アヤワスカとジャクビというものをまぜて、何回も煮る。<br>
<br>
泥汁のような色で飲むと初めての味。苦くなんともいえない。<br>
<br>
これをコップ１杯飲み、待つ。<br>
<br>
約３０分後、体の感覚が無くなり軽くなり、しびれたような感覚が体を襲う。<br>
そして、嘔吐。<br>
<br>
何か体の底から湧き上がるような嘔吐。<br>
酒で気持ち悪いのとはレベルが違う。止めれない。<br>
<br>
その後、しばらくして目をつぶると幻覚というかヴィジョンが見える。<br>
それは不思議な模様の集まり。<br>
<br>
その模様を生地にして今もこの地方の人達には、受け継がれている。<br>
<br>
なんとも言えない気持ちだった。<br>
ヴィジョンは見えなかったが、アヤワスカを経験してひとつ言えることは<br>
当たり前だが、人生は自分で切り開くものだと痛感した。<br>
<br>
とにかくアヤワスカを詳しく説明は出来ないが、この地方に伝わる伝統儀式だということだ。<br>
話では、ミュージシャンのスティングも経験してヴィジョンが見えたらしい・・・<br>
<br>
]]></description>
<link>http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/2005/09/post_39.html</link>
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<category>アマゾン</category>
<pubDate>Thu, 29 Sep 2005 17:46:04 +0900</pubDate>
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<title>謎の液体・サンペドロ</title>
<description><![CDATA[<p>インカトレールの最中に同行しているシャーマン、ポールに儀式をしてもらうことに。<br />
儀式といっても怪しいものではなく、昔からの伝統で植物からパワーを分けてもらうというもの。<br />
はたから見ればあやしいか・・・</p>

<p>シャーマンの唄とお香によるお清めをし、サンペドロというサボテンの粉を呑む。</p>

<p>このサンペドロは普通に市場やスーパーで買え、健康にいいらしい。<br />
しかし、呑むときに儀式をするのとしないのでは違いがある。</p>

<p>実際に何も知らずに、前日普通に飲んだが何もなかった。</p>

<p>恐るべしシャーマン！</p>

<p>これがそのサンペドロの粉。<br />
<img alt="画像ペルー 334.jpg" src="http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/pic/%E7%94%BB%E5%83%8F%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BC%20334.jpg" width="400" height="300" /></p>]]></description>
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<category>マチュピチュ</category>
<pubDate>Thu, 29 Sep 2005 17:37:59 +0900</pubDate>
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<item>
<title>コリカンチャ</title>
<description><![CDATA[<p>コリカンチャは、1250 年頃、最高神ビラコチャとマンコ・カバクによって建設された。インカ族の主神殿で、黄金の宮殿を意味している。その後1440 年頃にインカ王パチャクテが修復、改築した際、太陽神をインカの最高神と定め、神殿内の主要大広間をこの神へ奉げた。</p>

<p>他に月や星、雷などに奉げた居間もあった。崩壊、略奪前にこの神殿を見たスペイン人たちは、「スペインでも見たことがないほど素晴らしく、壁は金や宝石で覆われ、天井は多彩な羽根のマントで飾られていた」という記述を残している。</p>

<p><img alt="画像ペルー 333.jpg" src="http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/pic/%E7%94%BB%E5%83%8F%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BC%20333.jpg" width="400" height="300" /></p>

<p><img alt="画像ペルー 331.jpg" src="http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/pic/%E7%94%BB%E5%83%8F%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BC%20331.jpg" width="400" height="300" /><br />
</p>]]></description>
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<category>クスコ</category>
<pubDate>Thu, 29 Sep 2005 17:27:12 +0900</pubDate>
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<title>オリャンタイタンボ</title>
<description><![CDATA[<p>クスコの北、聖なる谷のもう一方の端のマチュ・ピチュに程近い所にあるオリャンタイタンボ。その名は、インカ王パチャクテの部隊に参加し、王女に恋をした地元部族の一兵士の名前オリャンタと、休息の場を意味するタンボのふたつの言葉から成る。</p>

<p>この場所は、聖なる谷にあることの他、アンティス族の支配するタワンティンスーユの中でもジャングル地帯に近い土地であることから、インカ政府にとってはとても重要な石造建造物群であった。通常、ジャングル地帯はなかなか征服できないため、インカ族から恐れられていた。一方でこの地方からは、果物や農産物、王の衣装に用いる美しい羽根をもつ鳥など多様な資源がクスコにもたらされていた。</p>

<p>オリヤンタイタンボは、多数の軍隊が集まる所であったとともに、インカの役人たちがアマゾンの首長と取引をしたり、歓待する王の宮殿でもあった。ここには兵士や軍隊、政治、宗教の要人のための数多くの部屋や、選ばれた女性たちの神聖な部屋（アクリヤ・ワシ） 、戦用として備蓄された大きな食料倉庫がある。</p>

<p>オリャンタイタンボの謎</p>

<p>建築に用いられた岩の大きさや、それらが数キロも離れた谷の反対側にある石切り場から運ばれたということにも驚かされる。どのようにして運び、丘の上まで持ち上げたのだろうか？ この疑問は、今現在も明らかになっていない。</p>]]></description>
<link>http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/2005/09/post_36.html</link>
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<category>サクサイワマン</category>
<pubDate>Thu, 29 Sep 2005 17:14:01 +0900</pubDate>
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<title>聖なる谷</title>
<description><![CDATA[<p>この谷の農生産は、機能性よりも儀式色が濃く、またこの土地の住民や農民はここに住む特権をもつ選ばれた人たちであった。</p>

<p>インカ族の聖なる谷は、ピサック、オリヤンタイタンボの両石造建造物群の間、ウルバンパ川に位置する。自然が作り上げた、道ともいえるこの川を辿って行くとマチュ・ピチュに出る。</p>

<p>インカ族の天文学者や祭祀は、この谷や川を、リヤマやコンドル、木などのインカの神聖な星座をもった天の川の投影だと考えていたため、この土地を神聖視していた。このためインカ族が谷に作り上げた風景には、エネルギーが集まるとともに、様々な地形によって不思議な力が備わっている。ピサツクとオリヤンタイタンボの両石造建造物群は単なる崇拝所ではなく、インカ帝国と言われるタワティンスーユの政治。宗教聖地であった。</p>

<p><br />
ピサック</p>

<p>ピサックは、ウルバンパ川の右側のユカイ地方にある。その名は、現在は絶滅してしまったが、この地に生息していたヤマウズラに似た鳥に由来している。ピサック石造建造物群は、要塞や兵舎のある軍事部分、至聖所や太陽の神殿のある宗教部分、選ばれた住民の住む町の3 つに分けられる。</p>

<p>この軍事的建造物や要塞は、戦術的に谷全体が見渡せる山の真申にある。その壁は厚く、内側に傾いており、また2 0 0 m 以上の長さの天然岩の上にあることからも無敵の様相を与える。至聖所は山頂にあり、研磨された石でつくられた部屋が7 つある。中央には太陽神に奉げられたインカの主要崇拝所であるインティワタナがあり、聖なる谷を一望できる。町を形成する約2 0 の建物は、山すそに沿って半円形に配置されており、その建築は質素に仕上げられている。</p>]]></description>
<link>http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/2005/09/post_35.html</link>
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<category></category>
<pubDate>Thu, 29 Sep 2005 16:53:29 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>サクサイワマン</title>
<description><![CDATA[<p>サクサイワマンは、インカ王パチャクテの時代の1 4 6 0 年頃に建設されたインカ時代の重要な建造物のひとつと言える。長年に渡り、サクサイワマンの砦と呼ばれていたが、考古学や歴史学文献から、現在では政治・軍事・宗教儀式の石造建造物群であったと考えらえ、度々クスコを侵略したアヤクチョの戦闘的なチャンカ族との戦いにおける勝利を祝うために建設されたと見られる。</p>

<p>ケチュア語学者や歴史学者も、サクサイワマンという言葉の意味を未だ解明できないでいるが、“鷹よ、腹いっぱい食べろ’’ ということを意味しているという意見が有力である。また、他に“斑模様の鷹’’という意見もある。インカ時代、鷹は神格化されていた。</p>

<p>この建造物はジグザグを描く3 層の要塞で、一番下の層は、巨石を用いている。泥のしっくいを使っていないにもかかわらず、ぴったりとかみ合うている。さらに驚くのは、これはど大きな石を丘の上までどのようにして運んだかということだ。建造物の頂上には、3つの塔または、建物があり、このうちひとつは円形、他のふたつは矩形であった。スペイン人の年代記録者によれば、これらは金銀の薄板や美しい鳥の羽のマントで覆われた大変立派な建物であったという。</p>

<p>サクサイワマンは、征服者と抵抗していたインカ王マンコ・カバクとの戦いによって、また後の植民地時代に崩壊した。その後は長年に渡り、大聖堂や他の教会、スペイン建造物の建設のための採石場として使用されていた0要塞の前にある平坦な土地は、国王の槍兵広場と呼ばれ、儀式用広場として用いられた。広場正面には、インカ王が宗教・軍事儀式を指揮する時に用いたとされる、段状の座席のある小さな丘（スチュナ） が建設されている。</p>]]></description>
<link>http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/2005/09/post_34.html</link>
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<category>サクサイワマン</category>
<pubDate>Thu, 29 Sep 2005 16:27:57 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ケンコー・タンボマチャイ</title>
<description><![CDATA[<p>ふたつの巨石から造られているケンコは、サクサイワマン石造建造物群の東にある。この石塊は外側と内側から彫り削られていて、大きな巨石の一番高いところにあるジグザグの形（ これが名前の由来となっている） をしている場所は、生贅（リヤマを使ったと考えられる） を奉げる宗教儀式に使われていた。</p>

<p>この説は、建造物の下の方にある洞窟の壁に彫られた手術台や、上部に施されたジグザグがリヤマの形になっていることから推測される。つまり、生贅にされた動物の血液がジグザグに沿って流れ、リャマの姿を形作っていったと考えられている。また、石碑近くの巨大な石塊の周りには半円形劇場がある。この石碑は、征服後にスペイン人によって壊されたが、現在もその動物形象（サルであったと思われる） が伺える。</p>

<p>タンボマチャイ</p>

<p>インカ王トウバク・ユパンキはタンボマチャイを、地下水が湧きている丘の横に憩いの場として建した。3 層の石段と通路があり、泥しっくいを使わずにぴったりと石組み合わせてつくられた素晴らしインカ様式建築物である。さらに壁が内側へ傾斜していることが特として見られる。</p>]]></description>
<link>http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/2005/09/post_33.html</link>
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<category>サクサイワマン</category>
<pubDate>Thu, 29 Sep 2005 16:08:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>クスコ</title>
<description><![CDATA[<p>クスコは、南米大陸の中でも最も強大な力をもったインカ帝国の首都であった。征服戦争や植民地時代に被った略奪や傷の跡はあるが、現在も数多くの遺跡が残つていて、輝かしい荘厳な時代を思い起<br />
こさせる。</p>

<p>もとのケチュア語の名は、“Qosqo ”であったが、インカ族の言語を正確に発音できなかったスペイン人がC u s c o に変えた。これが“世界のへそ” を意味することから、インカ族はその領域を、北はコロンビアのバスト分岐点、南はチリのマルエ川やビオピオ川まで、アルゼンチンの北をも含めて拡大しようとしていたと見られる。</p>

<p>現在、国家や帝国と呼ばれているが、インカ族はタワンティンスーユと名付けていた。これは、世界の4 つの州、チンチャイスーユ（北）イスーユ（クスコジャングル）－ユ（ ティテイカカ湖地方）イスーユ（現在のアレキパ）ていた。、アンテ、コヤス、クンテを意味しインカ族は、都をインカ時代に神格化されていたプーマの形につくり上げた。頭がサクサイワマンの丘、胴体がトゥルマユ川とサフィ川、尻尾がワタナイ川の支流の合流点であった。</p>

<p>クスコの中心には、ワイタカパ（涙の広場） とクシ／て夕（喜びの広場） というふたつの中央広場があった。両広場の真申には、頂上が平面の儀式用のピラミッドが建設され、その周りには、インカの宮殿やアクリヤ・ワシ（選ばれた女性の館） 、スントウル・ワシ（円形の武器館）があった。インカ時代の宮殿や建物は、征服や植民地時代にそのはとんどが壊され今日ではスペイン建造物の土台としていくつかの壁や部屋のみが残っているだけである。</p>

<p> また、スペイン人が来る前の、アタワルパとワイナ・カバクの息子であるワスカルとの権力争いもクスコの町に大打撃を与えた。アタワルパのキト軍隊（キトウス族） は、ワスカルを幽閉後、クスコの町で略奪を行い、町やその宮殿に火を放ち、ワスカルの全ての家族や親族を殺害したとされる。</p>

<p>クスコ（海抜3 2 2 6 m ） は、ビルカノタ分岐点に繋がる中央アンデス山脈と東アンデス山脈の間のワタナイ川とトゥユマユ川によって形成された渓谷、プーノ高原台地とアマゾンジャングル（北はキジヤパンパ、南はパウカルタンボからマヌーまで） への入り口である熱帯性山脈の間に位置する。</p>

<p><img alt="画像ペルー 111.jpg" src="http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/pic/%E7%94%BB%E5%83%8F%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BC%20111.jpg" width="400" height="300" /><br />
</p>]]></description>
<link>http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/2005/09/post_32.html</link>
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<category>クスコ</category>
<pubDate>Thu, 29 Sep 2005 15:59:55 +0900</pubDate>
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<title>イエズス教会・クスコ</title>
<description><![CDATA[<p>クスコは、1 5 3 4 年3 月2 3 日にスペイン人フランシスフ・ピサロによって建都された。その後、ピサロが征服者間で敷地の分配をした。</p>

<p>大聖堂建設のための敷地を受け取った教会が初に恩恵を受けた。元インカ・ビラコチャ神殿の上に建設された大聖堂は、当初、基礎建築のみであったが、1560年にマヌエル・デ・ベラメンディによって大聖堂にふさわしい豪華な寺院の建設が始まり、1654 年に完成した。教会内部には、混血バロック芸術の至宝といえるものやクスコ様式の油絵作品、ディエゴ・アリス＝ デ＝ ラ＝ セルダの作った荘厳な聖歌隊席がある。</p>

<p>イエズス会教会は、クスコの中央朋前の大聖堂の側、ワイナ・カ／てク宮殿「あった場所に建設された。その建設は、1 5 8 1 年に始まり1 6 7 1 年まで続いた。てとつの身廊に6 つの側礼拝堂、大作としえる混血バロック様式の正面扉から成てていて、クスコでもとくに美しい教会1ある。</p>]]></description>
<link>http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/2005/09/post_31.html</link>
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<category>クスコ</category>
<pubDate>Thu, 29 Sep 2005 15:49:37 +0900</pubDate>
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<title>ナスカの地上絵</title>
<description><![CDATA[<p>リマから南へ4 4 0 k m のインへニオ渓谷の中、サン・ホセ大平原にあるナスカの地上絵として知られている線と図像、台形などが数多く集まった場所。また、他にパルパ地域（ナスカの北） にも存在する。</p>

<p>1 9 2 6 年、当時“インカ道” と呼ばれていたこれらの線が考古学的に調査され、発表されたが、1941年、北米のボール・コソク教授が“世界一大きい天文学カレンダー” として“発見” を宣言した時に有名になった。</p>

<p>ハチドリ：ナスカ大平原で最もシンボル的であろう図像。9 6 m x 6 6 m の大きさで、ナスカの人々はハチドリを、人とコンドル（神と見なされていた） を結ぶ使者であると考え、神格化していたと見られる。</p>

<p>地上絵を説明するために今まで数多くの説が挙げられている。宇宙人によって描かれ、さらに大平原が特別な着陸地であったという説以外のほとんどは、重要な見解を示していると言える。ある説では、地上絵は巡礼者たちが巡礼していた神聖な道であり、数ある台形は儀式用の広場であったと言う。ボール・コソクとマリア・ライへは、これらの図や線は、星座と至点、昼夜平分点と関連し、大きな天文カレンダーとして用いられたと提起した。他の研究者たちは、図像が神聖な踊りの舞踏術を表しているのではないか、また、地元の呪術師によって幻覚を起こした時のイメージ表現だろうとも言っている。さらに、水と肥沃をもたらすための何らかの儀式に使われたとも考えられている。</p>

<p>ナスカとパルパの大平原の図像には、魚や鳥、植物、人間のような存在、アマゾン・アンデス・海岸地方の動物等が見られる。</p>]]></description>
<link>http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/2005/09/post_30.html</link>
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<category>ペルー</category>
<pubDate>Thu, 29 Sep 2005 15:42:50 +0900</pubDate>
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<title>首都リマ</title>
<description><![CDATA[<p>ペルーの首都リマは、アンデス山脈の西側と太平洋との間、周囲の砂漠地帯を流れるリマック川とチジョン川によって潤された平野と渓谷の中に位置する。人口は約8 0 0 万人、それは総人口の約3 0 ％におよぶため、住居や水道、交通や安全といった基本的なサービスを十分に供給できる行政能力の範囲を超えている。</p>

<p>また、リマには国家資源の大部分が集まる他、国家権力、労働提供、教育、一般サービスの多くが一極集中している。リマは、魅惑的であるとともに対照的な都市と言える。一方では、美しい住宅地が広がり、アメリカ大陸の中でも保存状態のよい植民地様式の建築物が見られる歴史の中心地である。数多くの先コロンブス期の建造物も残っていて、先スペイン期文化から植民地時代、共和制時代を扱った素晴らしい博物館が多くある。</p>

<p>食に関していえば、味、種類ともに豊富で、とくに海産物が多い。また、様々な質と様式のそろったホテルが立ち並び、他方では、人口の大半を占める貧困が明らかに見られる。リマの周辺貧困地区に生活する人々の大部分は、都市へ移った山岳地方の人々やその子孫だ。<br />
</p>]]></description>
<link>http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/2005/09/post_29.html</link>
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<category>ペルー</category>
<pubDate>Thu, 29 Sep 2005 15:33:30 +0900</pubDate>
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<title>テスト</title>
<description><![CDATA[<p>テストです<br />
</p>]]></description>
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<pubDate>Wed, 28 Sep 2005 22:00:18 +0900</pubDate>
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<title>ペルー少年合唱団～クスコ空港でのとある出来事</title>
<description><![CDATA[<p>アマゾン流域に向かうのにクスコから約1時間30分くらい飛行機に<br />
乗るのだが、悪天候のため飛行機が遅れた。<br />
予定より5時間以上も送れ、空港はいらいらする人であふれかえっていた。</p>

<p>そんなときだった。<br />
突然聞こえる澄んだ声・・・同じように待っていた少年合唱団だ。<br />
あたりはさっきと全く違った幸せな空気に包まれた。</p>

<p>彼らは各地を回ってキリスト教の唄を唄っているらしい。<br />
CDも出ているらしくさすがに感動した。<br />
団長や子供達と話をしてみて、心がきれいなのがすごく伝わってきた気がした。</p>

<p>後日CDを送ってくれるといってくれた、楽しみ。</p>

<p><img alt="画像ペルー 272.jpg" src="http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/pic/%E7%94%BB%E5%83%8F%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BC%20272.jpg" width="400" height="300" /></p>

<p><img alt="画像ペルー 273.jpg" src="http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/pic/%E7%94%BB%E5%83%8F%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BC%20273.jpg" width="400" height="300" /></p>

<p><img alt="画像ペルー 274.jpg" src="http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/pic/%E7%94%BB%E5%83%8F%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BC%20274.jpg" width="400" height="300" /><br />
</p>]]></description>
<link>http://WWW.fotfot2.com/peru/archives/2005/09/post_27.html</link>
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<category>クスコ</category>
<pubDate>Sat, 24 Sep 2005 21:22:48 +0900</pubDate>
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