クスコ
クスコ
クスコは、南米大陸の中でも最も強大な力をもったインカ帝国の首都であった。征服戦争や植民地時代に被った略奪や傷の跡はあるが、現在も数多くの遺跡が残つていて、輝かしい荘厳な時代を思い起
こさせる。
もとのケチュア語の名は、“Qosqo ”であったが、インカ族の言語を正確に発音できなかったスペイン人がC u s c o に変えた。これが“世界のへそ” を意味することから、インカ族はその領域を、北はコロンビアのバスト分岐点、南はチリのマルエ川やビオピオ川まで、アルゼンチンの北をも含めて拡大しようとしていたと見られる。
現在、国家や帝国と呼ばれているが、インカ族はタワンティンスーユと名付けていた。これは、世界の4 つの州、チンチャイスーユ(北)イスーユ(クスコジャングル)-ユ( ティテイカカ湖地方)イスーユ(現在のアレキパ)ていた。、アンテ、コヤス、クンテを意味しインカ族は、都をインカ時代に神格化されていたプーマの形につくり上げた。頭がサクサイワマンの丘、胴体がトゥルマユ川とサフィ川、尻尾がワタナイ川の支流の合流点であった。
クスコの中心には、ワイタカパ(涙の広場) とクシ/て夕(喜びの広場) というふたつの中央広場があった。両広場の真申には、頂上が平面の儀式用のピラミッドが建設され、その周りには、インカの宮殿やアクリヤ・ワシ(選ばれた女性の館) 、スントウル・ワシ(円形の武器館)があった。インカ時代の宮殿や建物は、征服や植民地時代にそのはとんどが壊され今日ではスペイン建造物の土台としていくつかの壁や部屋のみが残っているだけである。
また、スペイン人が来る前の、アタワルパとワイナ・カバクの息子であるワスカルとの権力争いもクスコの町に大打撃を与えた。アタワルパのキト軍隊(キトウス族) は、ワスカルを幽閉後、クスコの町で略奪を行い、町やその宮殿に火を放ち、ワスカルの全ての家族や親族を殺害したとされる。
クスコ(海抜3 2 2 6 m ) は、ビルカノタ分岐点に繋がる中央アンデス山脈と東アンデス山脈の間のワタナイ川とトゥユマユ川によって形成された渓谷、プーノ高原台地とアマゾンジャングル(北はキジヤパンパ、南はパウカルタンボからマヌーまで) への入り口である熱帯性山脈の間に位置する。


